History and Historic Landmark
人気の戦国武将として有名な日本一の兵・真田幸村は、現在も上田市のアイコン的存在です。忠義と知略を持って数々の合戦を戦い、大阪夏の陣では徳川家康をあと一歩というところまで追いつめたエピソードはあまりにも有名です。
長野県上田市の人口・天候・名所・名産・お祭りなどの情報を一枚のインフォグラフィックスで表現しました。
ここには収まりきらないポイントもたくさんありますが、「上田市ってだいたいこんなトコロ」という雰囲気を感じていただければと思います。
真田氏歴史館は真田幸隆、真田昌幸、真田信之、真田幸村を中心に、戦いの足跡や武具甲冑など、真田一族に関する資料が展示された資料館です。武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康らと深く関わった真田三代の足跡を辿り時代の流れに添うように展示しています。真田三代の活躍に思いを馳せてみませんか。となりの真田庵は、来園の方と地域の人々のふれあいの場です。
真田幸村・真田昌幸で有名な真田氏の居城として天正十一年(1583年)築城された平城。戦国時代、第一次上田合戦・第二次上田合戦で徳川軍を退けたこの城は、二度もの実践の歴史を持つ近世城郭は全国的にも珍しく、江戸時代も城下町・上田市の中心であった名城です。春には本丸跡やお堀端に植えられたソメイヨシノやしだれ桜が古城に彩りを添えます。4月の「上田城千本桜まつり」では夜桜がライトアップされ、花見に訪れる市民や観光客で賑わいを見せます。
上田城跡公園内にあり、上田城檜櫓をくぐると正面に見える神社です。真田・仙石・松平の歴代上田藩主を祀っており、主神は真田昌幸と長男の信之父子です。江戸時代に上田を領していた仙石、松平両家の歴代藩主が祭神として奉られています。開祖の名をとって「真田神社」とされました。第二次上田合戦では38,000もの徳川の軍勢を3,500の兵力で撃退し、大阪冬・夏の陣で大活躍した真田氏の知略や勝運にあやかろうという人も多く訪れる人気パワースポットです。
万物を生み育て力強い生命力を与える「生島大神」と、人々の願いに満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。戦国時代には武田氏や真田氏が信仰を寄せた由緒ある神社です。本殿内殿の土間がご神体とされ(大地そのものがご神体)、諏訪神社前には夫婦欅(めおとけやき:樹齢800年)があり、夫婦円満・子宝安産・延命長寿のご神木とされています。生島足島神社は日本の中央にあるとされ、日本総鎮守とも称されました。
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。北向観音はその名の通り、北向きに建立され千手観音様を御本尊として現世利益を願います。本堂が北に向いているものは、日本でもほとんど例がありません。長野市善光寺は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。現在(北向観音)と未来(善光寺)どちらか片方だけだと「片詣り」と言われ、向き合ってる両方をお詣りすると良いと言われています。
国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇発布の詔勅にあるように「造塔の寺は、兼ねて国の華なり、必ず好処を択びて、実に長久なるべし」と、国の華である国分寺はその国の最も良い場所が選ばれ、信濃の国では、今の上田市が選ばれました。境内にある三重塔は国指定重要文化財に指定されています。
安楽寺は天長年間(824〜834)に開かれたといわれ、鎌倉時代中期には鎌倉北条氏の外護により禅寺として栄えました。国宝・重要文化財等、数多くの文化遺産を蔵して、信州最古の禅寺の面影を残しています。境内は深い緑と天高く伸びた木々にかこまれており、凛とした雰囲気を感じられます。
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