Ikushima Tarushima Shrine

生島足島神社

【カテゴリー】 歴史・史跡  【掲載日】2014年06月
生島足島神社
  • 日本の中央にあるとされ、日本総鎮守とも称された神社です。
  • 武田信玄自筆といわれる「願文」や、真田昌幸の朱印状など400年以上前の古文書が展示されています。
  • 家内安全・良縁子宝・身体健勝・商売繁盛など、ご祈祷ご祈願に多くの人が訪れます。
  • 生島足島神社イメージ
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万物を生み育て力強い生命力を与える「生島大神」と、人々の願いに満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。戦国時代には武田氏や真田氏が信仰を寄せた由緒ある神社です。本殿内殿の土間がご神体とされ(大地そのものがご神体)、諏訪神社前には夫婦欅(めおとけやき:樹齢800年)があり、夫婦円満・子宝安産・延命長寿のご神木とされています。生島足島神社は日本の中央にあるとされ、日本総鎮守とも称されました。

平安時代から続く、武田信玄・真田氏も信仰した神社

生島足島神社の歴史は非常に古く、平安時代に制定された延喜式に「生島足島神社二座明神大社」として記載されています。戦国時代には武田氏や真田氏が信仰を寄せ、江戸時代には歴代上田藩主の厚い庇護をうけてきた由緒ある神社です。

境内・本殿などの造り

神社境内には、池に囲まれた小島の上に、権現作りの本社が北面して建ち、それに正対するように摂社諏訪社本殿(上田市指定文化財)が建てられています。
本殿内殿はかつては屋外に建てられいましたが、十八世紀後期から十九世紀初期の時期に覆屋としての本殿が建てられ、屋内の内殿となりました。
現在の内殿の規模は、桁行(正面)柱間三間(4.82m)、梁行(側面)柱間二間(3.10m)で、屋根は切妻造の厚板張り、(当初はこけらぶき)です。
内部は、向かって左側二間が内陣、右側一間が外陣となっています。外陣は諏訪大社が半年間、生島足島両神にご飯を炊いて奉ったところと伝えられ、その伝承を受け継ぐ御籠祭(おこもりさい)と呼ばれる神事が現在も行われています。内陣の周囲は大部分が板壁で内外陣境に片引き板戸の潜り戸があります。正面中央柱間には片引き戸の戸口がありますが、当初は窓であったと推定されます。また、西妻(右側面)は、現在は壁も戸もない開放状態ですが、当初は向拝(ごはい)が存在したと推定されます。床は、内陣・外陣とも土間となっており、内陣の土間が本神社の御神体とされています。これは、万物を育む大地を神として崇める最も古い神社の形式を伝えるものです。

主要な部分はケヤキ材で、表面は手斧(ちょうな)仕上げの上を丁寧に削り磨いています。外面した部材の一部には朱などで彩色した跡が残ります。軸部は、粽(ちまき)・礎盤(そばん)・大瓶束(たいへいづか)等を用いた室町時代の様式で、その特徴から建築年代は、天文年間(1522〜1555)頃と推定されます。

名称 生島足島神社
カテゴリー 歴史・史跡 
住所 長野県上田市下之郷中池西701
電話 0268382755
WEBサイト http://www.ikushimatarushima.jp/
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